仙台城跡にいたおもてなし武将隊「支倉常長」って誰?

このお話のつづきです
>>仙台城跡(青葉城)は工夫がいっぱいで観光して良かった!

仙台城跡を観光したら、おもてなし武将隊がいました。

子ども達に昔の地図を広げて説明したりさすがに伊達武将隊
この地にかなりお詳しい様子です。

仙台城おもてなし武将隊

右は「片倉小十郎影綱」(かたくらこじゅうろうかげつな)さん。
伊達家の家臣で軍師を勤めました。

左が「支倉六右衛門常長」(はせくらろくえもんつねなが)さん。
武将にしては、少し変わった格好ですよね。

このひと誰〜?

わたし初めて知りました。
以後「支倉六右衛門常長」を「常長」と記します。

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支倉常長は「慶長遣欧使節」リーダーで悲劇の人

すごくざっくりご説明します。

常長は江戸時代始めに大海を渡りスペイン、ローマに行った最初の日本人です!

伊達政宗の命令で、幕府も認めた正式な外交使節団で「慶長遣欧使節」といいます。

その目的は下の2つ。

(1)スペイン国王に会い、メキシコとの直接貿易の許可を得ること

(2)ローマ教皇に会い、仙台領内でのキリスト教布教のため宣教師の派遣を要請すること

この2つは思いのほか上手く運ばず時間がかかりました。

その間に日本では徳川家康によって「キリシタン禁令」が発令されました。

常長はスペインでキリスト教の洗礼を受けましたが、それでは帰国できないので改宗したそうです。

本当に改宗したかどうかは本人しか解りません。

常長が持ち帰ったキリスト教関係の資料の状態を見ると、折り曲げて、隠し持っていたのでしょうか。痛々しいほど痛んでいます。

国宝に指定された常長の肖像画も折り畳んだ後があります。

支倉常長肖像
画像は仙台市博物館のHPからお借りしました

「仙台市博物館」で、常長が持ち帰ったものが見られます。

肖像画はローマで描かれたそうですが日本に残る絵画の中で、実在した日本人の肖像画としては最古の作品だそうです。

支倉常長についてもっと詳しく知りたい方はこちらをどうぞ
>>仙台市博物館「支倉常長」のページへ

仙台城を観光した後に、仙台市博物館に行き、この品々を見るのはとても良いコースと思います。

仙台市博物館は仙台城の三の丸跡地にあり、下り坂を歩いて10〜15分くらいで博物館の裏手に出ます。

博物館の裏手にもう1つ興味深いものがあります

仙台市博物館の裏側にもう1つ必見のものがあります。
伊達政宗の胸像ですが、これ1935年に作られた元々の伊達政宗像の一部です。

伊達政宗胸像

下半身と馬の部分とかありません。

戦時中の金属供出のため使われてしまったのです。

供出(きょうしゅつ)って解りますか?
戦争で必要な武器を作る為に、金属が集められて鉄砲玉や戦闘機など作ったのでしょうか。

馬に乗った勇ましい伊達政宗公は、戦後に同じ鋳型で作っているのです。

常長が持ち帰った品も、この伊達政宗像も歴史が物語る痛々しさを感じてしまいました。

「仙台市博物館」に行かれたら、両方とも是非ご覧くださいね。

仙台旅行記をまとめています
>>東北〜花巻,仙台旅行記

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